という 新聞記事のスポーツコラムに
「ワールドカップの審判」について掲載してあった。
とても、良い記事なので
割愛して書き込む。
〜新聞記事より〜
過去のW杯に比べ、今回は審判団の技量の高さが特筆に値する。
世界中から平等に審判を集めて広く、薄くチャンスを与える悪平等を正し
能力最優先で少数精鋭に絞った。
それは、前回に日韓大会の反省がある
構図としては、オリンピックの柔道で「本場」の日本選手が、奇妙な判定にしばしば泣いてきたのに似ている。
サッカー二流国の審判に裁かれ、誤審で敗れた大国の怒りはすさまじい
FIFAもW杯という真剣勝負を審判の学習の場に使う愚かさを悟った。
今回の審判団には好感がもてる。
イタリアー米国を裁いた審判は、反則された選手が倒れずにドリブルを続けたところ、そのままプレーを続けさせた。だが、最初のタックルでバランスを崩した事もあり、次ぎに来た選手にボールを奪われる。
すると審判はそこで笛を鳴らし、最初の反則のあった場所でFKで再開させた。
この判定の素晴らしさは、倒れなかった選手に
「頑張っても損はない」と感得させたことにある。
もし、主審が笛を鳴らさなければ「反則された時点で倒れた方が良かった」
と選手は思うはず
そして、次からは踏ん張る気もなくし、反則されては倒れ、それに合わせて
ピーピーと笛が鳴り、試合がぶつ切りになる悪循環に陥る
今回の審判は「なにがフェアか」という観点に沿って判定がなされている
アドバンテージの柔軟な解釈がある。
もっとも、サッカーにはミスジャッジがつきもの。
ピッチの中は死角だらけ
3人の審判ではどんな精鋭を集めても限界がある。
特にオフサイド周辺が恐い
列強の攻撃陣はぎりぎりのタイミングでDFラインの裏を突くことをいつも狙っている
日本の試合でそんなきわどい試合は皆無だった。
副審と勝負するパスの出しても受け手もいない国
いるのに策がない国
日本戦を担当する副審は楽だ。
〜日経新聞より〜
日経新聞は日本代表にはいつも辛口である。
この記事では2つの面白いポイントがある。
1つは、列強国の攻撃陣はいつも副審に「勝負をかけている」という
解釈だ。
そうか〜それだけDFラインの裏を突くというのは、「紙一重」なのか
と改めて実感してしまった。
もうひとつは、これだけ歴史ある大会でも、審判のジャッジに関しては
毎回、修正を重ねているという事実
今年、初めて開催された、WBCも今後は是非FIFAの
「よりフェアな試合を楽しむ」という
貪欲な姿勢を学んで欲しい
米国のエゴを押しつけるような大会であれば
ナショナリズムの観点から今後の野球に未来はなく
今以上にサッカーから差をつけられるだろう。
残念ながら、今回 日本は予選敗退したが
原因は「経験」と「歴史」の差
次ぎの監督候補に「エメ ジャケ」にオファーを出しているらしいが
多分断られるだろう
しかし、ファルカン同様 日本は南米の監督とでは相性が悪いのかな〜
でも、ジーコは間違いなく日本サッカー界の歴史の1ページは作った!
posted by たろー at 22:29| 福岡 ☔|
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